コナ・コーヒーと日系移民たちの物語


日系移民たちの努力と汗の結晶である、コナ・コーヒーの歴史

コーヒー栽培が始まる前、ハワイではその豊かな土地柄、タロイモや他の食物を栽培していた。

1825年:

カメハメハ2世とその王妃カマルマルがロンドン訪問中に、麻疹にかかり帰らぬ人となる。同船していたオアフ島の統治者ボギは、彼らの遺体をのせて英国船ブロンド号でハワイに帰る途中、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに寄港し、コーヒーの木を持ち帰った。それがエチオピア原産のアラビカ品種だとされる。白人インディアンで農場主でもあるジョン・ウィルキンソンが、オアフ島のマノア渓谷付近の農園でその木を植樹したが、結実まで成功しなかった。


1828年:

キリスト教宣教師サミュエル・ラグルがボギの農園から持ち帰った木をケアラケクア湾のキャプテンクックに観賞用として植樹。その木は瞬く間に成長し、コーヒー栽培ブームとなったが、コーヒー豆育成のための栽培ではなかった。


1840年:

マウナロアの斜面で育つコーヒー

温暖な気候と最適な環境のおかげで、グアテマラ・アラビカ種であるコーヒーの木がコナの地で大成功に至る。コナ・コーヒー栽培は繁栄し、その気品ある香りは、特に捕鯨や貿易をする船員たちの間で名を馳せるようになる。


1850年代:

労働者不足と干ばつ、そして害虫や他の疫病の蔓延によりハワイのコーヒー産業の衰退が始まる。一方、ハワイの他の島では、コーヒーに代わり、さとうきび栽培が始まる。ハワイ島で残った大規模のコーヒー農場はコナとハマクア地域だけになる。


1860年代:

捕鯨産業の崩壊によって、ハワイのコーヒー産業の実質的なマーケットも崩壊の道をたどる。


1866年7月:

名人の作家マーク・トウェインが彼の著書「ハワイからの手紙」の中でコナ・コーヒーを絶賛。彼は「コナからケアラケクア湾までの道のりで、有名なコナ・コーヒーに出会った。この香り高いコーヒーは他のどのコーヒーにも勝るすばらしい1品」と引用した。


1880年代:

ハワイとアメリカ政府間で米国・ハワイ互恵条約が締結され、これによってハワイの砂糖は無関税でアメリカに輸出できることとなった。その結果、さとうきび産業は飛躍的に増大、コーヒー豆からさとうきび栽培に変える農家がさらに増加。一方、コナ・コーヒーのほとんどがハワイ内で消費され、ハワイ外に輸出されることは皆無に等しかった。

その頃、コナ・コーヒーは以下のように生産されていた。

個人農家は手作業でコーヒーチェリーの表皮を取り除き、16時間の浸水後、屋根の上の干し棚で乾燥させる。地元の工場で表皮の最終チェックをし、麻袋に入れる。ロバ(コナのナイチンゲールの愛称で親しまれた)がワゴンに乗せた麻袋を運び、カイルア港やナポオポオ港で蒸気船に乗せられ、サン・フランシスコへ輸送された。

コーヒーの運搬用だったロバ
「コナ・ナイチンゲール」


1885年:

日系移民たちのコーヒー栽培が始まる。厳しい条件のもと、3年契約でビッグアイランド(ハワイ島)のさとうきび栽培に借り出されるのだが、苦労してコナにたどり着いた末、日系移民の多くはコーヒー豆収穫に雇われた。


1890年:

世界のコーヒー市場価格が急騰。コナでも欧米投資ブームをひきおこし、大規模なコーヒー栽培時代の幕開けを迎える。コナでは初めてのコーヒーブームに。


1898年:

この頃、コーヒー栽培の作地は6,000エーカー以上にもおよび、300万本以上のコーヒーの木が栽培される大規模なコーヒープランテーションに発展した。


1899年:

世界市場の過剰供給の結果、世界のコーヒー市場も下降、コナ・コーヒーも打撃を受け、値が暴落する。同時に砂糖の値が急騰。投資家たちもコーヒーから砂糖への投資に移行。大規模なコーヒー農場は閉鎖を余儀なくされ、コーヒー栽培の作地面積も減少し始める。



1900年初期:

コナ・コーヒー産業はほとんど壊滅。しかし、コナの急傾斜の地形と水分に乏しい土地は大規模なさとうきび栽培には適さなかった。コーヒー市場悪化のため、ドイツ人移民でコーヒー農場主、W.W.ブルナー氏が大きなコーヒー栽培農場を小作人に貸すという方法をとると、他のコーヒー農家も彼にならう。このときの作地面積は5から15エーカーほどのものだった。多くの小作人は日系人一世の移民家族で、初めは男性のみがコーヒー生産に携わっていたが、次第に女性もコーヒー栽培の全過程に加わるようになる。子供が8人から11人という大家族は珍しくなく、5エーカー以下の借地は、人を雇うことなく家族経営でまかなえる大きさだった。


1910年まで:

当時、切り詰められていないコーヒー木

に登る収護作業の要す

コナ・コーヒー農家の8割は日系人の個人農家でコーヒー栽培はほとんどファミリービジネスであった。大プランテーション経営から家族経営農家への過渡期であり、再びこれがコナ・コーヒー産業を救うことになる。


1914年:

第一時世界大戦が勃発し、軍が戦闘に必要な食料の一部としてコーヒーを大量に買いあげる。これによってコーヒーへの需要が再び高まり、世界のコーヒー市場価格とともに、コナ・コーヒーの値も上昇する。コナ・コーヒーの高値は1928年まで続き、コーヒー農家にとって最盛期を迎える。



1929年:

大恐慌の始まりによってコーヒー市場は暴落。1930年代は、農家のコーヒー生産は続いたが、マカデミア・ナッツなどコーヒー以外の栽培も始まる。1932年には、コナの公立学校がコーヒーの収穫期である8月から11月にコーヒーバケーションとして臨時休校。(通常夏のバケーションは6月から9月)これは子供たちに収穫の手伝いをさせるためで、コーヒーはこれほど主要な産業だった。


1940年:

今のコナ・コーヒー界を開拓、
築き上げた日系人の家族経営型農園の姿

第二次世界大戦勃発。食料としての大量買占めのため、コーヒーの値が再び高騰。この傾向に歯止めをかけるため、アメリカ政府はコーヒー値に上限を設ける。戦争終結後2~3年間、コーヒー値の上昇傾向は続く。この頃、コーヒーチェリーの運搬に歴史的に大きな役割を果たしてきたロバは、ジープにとって代わった。


1950年:

朝鮮戦争が始まり、市場が再び低下。農業をやめて他の仕事につく農家が増加。


1958年:

世界市場の高騰により、6,000エーカーもの大プランテーションが再び盛んになる。コナ・コーヒー栽培者は、各々工場を持ち始める。パシフィック・コーヒーとサンセット・コーポレーティブという協同組合が設立され、生産過程の管理にあった。1950年末までキャプテンクック・コーヒー・カンパニーとアメリカン・ファクターズという2つの会社が実際にコナ・コーヒー市場を統括。1959年までには、12の工場が出来た。


1969年:

コナの公立学校のコーヒーバケーションがようやく廃止される。



1970年末から1980年:

コーヒーをつむ女性作業員

コナ・コーヒーの値は急騰と急落を繰り返す。しかしコーヒー市場のめざましい成長はコナ・コーヒー産業を活発化させることになる。1979年には、それまで協同組合により独占状態だったものを、ダグラス・ボング氏がそれを破って、島外に豆を輸出した。それをきっかけに各社も彼に続き、アメリカ本土は西海岸地域でもコーヒーの需要が高まった。熱心な愛好家は高値を支払ってもコナ・コーヒーを好むようになり、コナ・コーヒーは最高級のグルメ・コーヒーとしての確固たる基盤をここに築くことになる。


1981年:

この頃、移民農家が営むコナのコーヒー農園は1,600エーカー余りとなる。

現内田大作氏のコーヒーの農園の風景



1990年:

コナ・コーヒーは世界でも人気のコーヒーブランドになるが、作地面積は1,200エーカーほどに減少。高値にもかかわらず、多くの農家はマカデミア・ナッツ、アボガドや他の作物を栽培して生計を立てていかなければならない状況になり、また農場以外の場でパートなどの仕事を探す者もいた。


1994年:

コーヒーの開花期後の干ばつにより、実が真っ赤に熟さないという致命的被害が発生。コーヒーチェリー生産の減少を招く。その結果、世界のコーヒー収穫量のなかではわずかであった1.5百万ポンドほどのコナ・コーヒーのシェアがさらに小さくなる。


1996年:

この頃になっても、ハワイはアメリカ国内で唯一のコーヒー生産地域であり、その中でもコナ・コーヒーは実に珍しいものだった。600以上もあったコーヒー農場は、そのほとんどが作地面積が数エーカーという小さなものになっていた。


1998年:

ハワイ州で議案が可決され、ハワイはコナ・コーヒーの産地として指定される。これによって、コナ産以外のコーヒーにコナのラベルを付けることは違法になる。


現在:

100%ピュアなコナ・コーヒーへの評価と消費者への直送という販売方法が愛好家の間で好評を受け、作地面積は2000年に3,000エーカーほどに増大。グルメコーヒー市場は繁栄をつづけ、コナ・コーヒーへの需要の拡大が確かなものになる。コナ・コーヒーの消費者はほとんどが大企業だったが、コナ・コーヒーと名のついただけのランクの低い大袋や安価で香りの落ちるブレンド品などと組み合わせていた。しかしながら、小規模のコーヒー豆焙煎会社(60年代から70年代にかけてハワイに移住したアメリカ人の所有のものもある)などはコーヒー産業に自分たちの居所を見出したりしている。それでも、質の高いコナ・コーヒーは生産が限られているだけに、カウなどコナ以外の地でお目にかかることはやはり稀である。

現在のコナ・コーヒーの農園

このホームページ上の文章、映像、写真などの著作物の全部または一部をコーヒータイムズの許可なく複製、使用することを禁じます。 Coffee Times 2012